当院について
沿革
草創期
明治2年12月 | 沼津兵学校の附属医療機関・沼津陸軍医学所が沼津病院と改称され、杉田玄端頭取以下、当時の我が国の最高水準を誇る医師11名により診療を行う。 |
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明治5年8月 | 沼津兵学校閉鎖時に、杉田玄端は附属の沼津病院を私立病院として運営し、その後当院は、会社組織、駿東郡立、郡有私営から再度、私立病院へと変遷する。この間、名称も「駿東病院」となり、文字どおり県東部地域医療の中枢となるが、昭和20年海軍共済病院への譲渡により、その幕を閉じる。 |
旧市立病院
昭和3年4月 | 沼津市立病院(伝染)を設立(現本田町)。 |
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昭和7年9月 | 沼津(伝染病)組合病院(1市1町6村共同経営80床)となる。 |
昭和20年12月 | 終戦により海軍共済病院は解体され、その施設は沼津市と富士宮市に移管され、沼津市は千本に急設された林間市立病院を含め、総合病院としての「沼津市立病院」を発足させた。(診療科9科・200床) |
昭和21年2月 | 下香貫旧海軍技術研究所の建物の一部を転用して、沼津市立第二病院を開設する。(診療科2科・50床) |
昭和27年4月 | 市内三枚橋の静岡県厚生農業協同組合連合会駿東病院を買収し、これを本院として、第二病院を吸収する。 |
昭和30年7月 | 昭和27年12月に本院の一部を焼失したため、29年より新築工事に着手し、第1期工事が完了する。 (鉄筋コンクリート造、3階建) |
昭和35年3月 | 第二期改築工事を完了する。(診療科10科、276床) |
昭和52年3月 | 「田町分院」を廃止する。 |
新市立病院
昭和56年4月 | 沼津市基本計画により、全面移転新築を決定する。 |
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昭和58年1月 | 新病院建築マスタープラン策定 |
昭和61年3月 | 建築工事着工 |
昭和63年3月 | 建築工事竣工 |
昭和63年7月 | 新病院診療開始(7月2日、診療科16科と健康管理科、500床ただし、63年度は398床) |
平成元年4月 | 許可病床数を500床とする。(4月10日) |
平成4年8月 | 放射線棟増築工事竣工 |
平成5年1月 | 外来患者用立体駐車場(二層式)工事完了 |
平成7年3月 | MRI棟増築工事竣工 |
平成8年7月 | エコー室増築工事竣工 |
平成14年10月 | 診療棟増築工事竣工 |
平成16年3月 | 救命救急センター改修工事竣工 |
平成16年4月 | 救命救急センター開設 |
平成19年3月 | ヘリポート設置 |
平成25年4月 | 心臓血管外科新設(診療科24科) |
平成28年4月 | 許可病床数を426床とする。(4月1日) |
平成29年6月 | 地域包括ケア病棟開設 |
平成30年10月 | 許可病床数を387床とする。(10月1日) |
当院について
診療受付
平日午前7時45分~午前12時
休診日:土日祝、年末年始
(12月29日~1月3日)
面会受付
全日
一部解除